【ブログ成長日記】書くということ

量は質に転換する。

天才は、質と量を

兼ね備えている。

訓練においては、まずは量だ。なんだかんだ理屈を言ったって、

量の多いやつにはかなわない。

デッサンを50枚しか描けない人と、5000枚描いてもまだ止めようとしない人では、

エネルギーが違う。

ひたすら描き続けたゴッホは、炭鉱労働者のような筋肉質の腕をしていたという。

質なんて、最初はみんな零点なのだ。

質は主観の問題だが、量は誰が見ても多いものは多いのだ。

量は、あるとき必ず質に転換する。

そして、量が質に転換して、普通の人は量をこなさなくなる。

量が質に転換しても、まだ量をこなし続けるものを天才と呼ぶ。

手塚治虫を見よ。

僕は、この言葉で、覚醒した。

読むという行為をガラッと意識を変えてくれた。

僕の好きな本を言葉を考察する。

まず、ブログを続ける上でも当てはまる真理である。

ブログは日記と揶揄されるが、そんな言葉では収まりきらないほどの可能性を秘めていると思っている。

ただ、人の目に止まるようになるには、質というものが問われる。

僕にはまだ、その技術がない。ただ書くのは好きだ。

そうなるとインプットの読書や映画を観たり、音楽を聴くことも

大いに僕のクオリティを高めてくれるだろう。

僕がこれから経験する事の表現が、群を抜くとそれは価値が圧倒的に上がってくる。

そこ至るには、それなりの量を書き続けないとならない。

その為には、大衆受けという部分も加味しながらも、自分らしさ、自分にしか書けない

オリジナルなモノが出てこないと意味がない。

他人にはゼロに見える部分、自分には積み重なっている部分。

積み重なっている見えてこない部分を今は、とても大切に大事に水をやり餌をやり

育んでいかないとならない。

ただ、ブログをはじめてみての感想は、多くのブロガーでさえ へし折られるほどの

難易度もある。

未知数の部分が大きすぎるのである。ただそれは、逆を言えば果てしなく誰も想像しえないほどの可能性すらはらんでいることになるのだ。

この部分をポジティブに捉えるのか、ネガティブに捉えるのかが、常に問われる。

僕は、こんな魅力溢れたブログを見過ごすわけにはいかない。

小説 歌詞 俳句 短歌 キャッチコピー これら全ての能力だってあがるわけだ。

そうなると詩を読上げる 歌を歌うことすら 磨くことができるのだ。

話す言葉にも説得力を纏うようになる。

深みがますようになる。

演技力すら上げる事も可能だろう。

執筆をすることで、多岐にわたる活躍すら期待をできる。

そしてそれは、歳を重ねる毎に深みが増すようになるのだ。

そして、これは永遠に残り続けることにもなりえる。

僕は、ここに焦点を合わせて行けばいいと思っている。

こんなワクワクして続けられるブログというモノは、とても素晴らしい。

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