読書のためのブログ

さて久しぶりに、書いてみようと思った。

読書のためにアウトプットをするのだ。

超訳ニーチェの言葉

フリードリヒ・ニーチェ ドイツの哲学者のようだ。

あまり詳しくはしらない、ただ響く言葉が書いてあるから、なんとなくインスパイア

されてしまったのだ。

ある一節

「死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう

いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。

時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。

嘆きわめくことなんか、オペラの役者にまかせておけ」

哲学者とは思えない明快な言葉

そして哲学者っぽい言葉を発見

「心に光があるから希望の光がわかる

ここに希望があったとしても、自分の中に光や灼熱を体験していないならば、それが希望だとはわからない。希望のなにをもみることも聞くこともできない。」

実に哲学者っぽいなと思った。

このニーチェの言葉から気になるところを抜粋しようと思います。

軽やかな心をもつ・萎縮しないこと・多くの知識に触れ芸術に触れると

心は徐々に軽やかさを持つようになっていく(やはり読書も心の軽やかさを得るためにも必要なんだ)

遠くを眺めたときに山々や森林の連なりやはるかなる水平線や地平線といった、

確固たる安定した線を持っていることはとてもたいせつなことだ。

 

 

 

猛禽類と自由に羽ばたく自由

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飼い方の癖がすごい~!アブノーマルすぎる

もうちょっと何とかならないかな。

彼らは喋れないから、代弁するよ。

商売なのも分かる。

動物が好きな自分は、心苦しいよ。

猛禽類 鳥たちも「心」があるよ。

需要と供給のシステムもわかるよ、わかるけどさ~。

もうちっと なんとかならねーのかなあ。

一匹 一匹 自由に飛ぶ時間あるんか?

この彼らは、一生縛られたまんまか・・・

自由に飛ぶことも動くことも許されず・・・

茨城県牛久市にある「猛禽屋」ほかに良い飼育方法ないものかな・・・

これってさ、ある意味 違法な飼いかたなんじゃないの?

何が正しくて何が間違っているからは、分からなくなるけれど。

俺は、こんな悲しい環境は、無くなってほしいと思っている。

線引きが難しい きりの無い押し問答が発生することもわかっている。

好きなように発言できるココならば、

彼らが自由に空を羽ばたく姿を見たいと思う。

グーグルマップの口コミもサイコパスすぎるだろ。

もっと工夫すべきだと思う。

いろいろヤバイすぎる。

 

間宮林蔵と北方領土

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f:id:GIOCATORE52:20190812150506j:image間宮林蔵 まみや りんぞう

伊能忠敬と同時期に探検測量をした偉人
自分は知りませんでしたよ。
北海道は、間宮林蔵 九州は、伊能忠敬
みたいな感じに測量した人

たまたま間宮林蔵の生誕の地を通りかかって
挨拶してきました。
当時は命がけで、自分のお墓を建ててから出発しました。
直筆の手紙や測量した地図から推察するに
好奇心と知性を兼ね備えていた反面 冒険家でもあり非常に繊細な人だったようです。
北方領土の問題には、一番嘆いている事だろう。

ちょうど仕事の関係で、北海道へ行く用事が
あるので、タイムリーでした。
樺太島への想いは、命と引き換えて遺した。
12年かけて北海道と北方領土の地図を正確に書き上げた。

全然知らなかったので、凄い優秀な人が居たもんだ。
北方領土 返していただけませんかね?f:id:GIOCATORE52:20190812150430j:image

 

 

今週のお題 人生最大の危機 INバックパッカーバージョン

今週のお題「人生最大の危機」

つい先日、中国へ行った時の話です。

まずは、上海への行き方 

茨城空港へ埼玉県から車で行きました。なぜなら茨城空港は、駐車場無料なのです。

ただし気を付けてください、車上荒らしが多発しているとのことです。

僕は大丈夫でしたが、泥棒は金目の物が車にあると嗅覚が働くらしく、置いておかないことが肝要です。

なので若干不安でしたが、車でドアtoドアで行ける茨城空港は大変お得だと思います。

ただ就航しているエリアがどんどん縮小しているのが、残念ですね。

空港には、ほとんど中国人ばかりが、ウロウロしていて、旅行に使っている主なお客は中国人みたいですね。

田舎の空港らしく、成田や羽田のようなピリピリした雰囲気はなく、イミグレーションの流れもタラタラとのんびり進む感じ。なぜなら発着の飛行機も一時間に一本ずつとかなので、管理が簡単なのでしょうね。

この時間のフライトしかイミグレーションを通過する人はいないのです。

そして上海への飛行機には、茨城空港の中を歩いて渡り飛行機まで普通に滑走路を歩きます。

中国語が飛び交う機内。

まあ、日本人だけのような環境よりは気を使わない感じなのと中国語が分からないので、放っておいて音楽を聴いたりして楽しんでいけるのもあるかな。(笑)

機内にはwifi環境はないので、オフラインでスマホに動画や音楽を録りためておくことがいいでしょう。

上海には2時間くらいで着いてしまいます。

ただ午後の便でしたので、すぐに暗くなりはじめます。

ここからが、本題です。

上海に着いた、そして割と大きい空港。すぐには、僕が向かうべき出口やそこから上海市内へ向かう公共の乗り物 何にのり どこへ向かうべきかは、そんな簡単に分かるものではありません。

それと観光に来たので、しばらく空港内を歩いて見回ったりしていると15時着の飛行機は、17時過ぎはじめ、初心者旅行者には危険な時間帯になってきます。

僕は、バックパッカーの旅では、旅仲間たちが被害に遭う所も何度か見てきましたし、自分も大きく危険な事はすくなかったですが、上海では少し様子が違いました。

正直人生最大のピンチというか、ここまで危険な目に遭ったことがはじめてだったので、動揺してしまいました。

以前に中国の南部にはベトナムから入った事はあるのですが、上海には初めていきました。

かれこれ、上海の中心部に着いた頃には、あたりは真っ暗になってしまいました。

僕は上海には、バックパッカー用の安い宿に宿泊する予定でしたので、

上海の中心部に位置する宿を目指すべく 駅から歩いて向かうことにしました。

ここでも問題だったのが、中国の都市部の建物は無駄に高い。

無駄に建物が乱立している。そうなるとどうでしょう。

スマホGPS機能が、死ぬわけです。

マップのピン(自分の位置)は、あっちゃこっちゃ飛びまくるわけです。

上海のどまんなかで、僕は困ってしまった。

そこで、地図はオフラインでも観ることができたために、その地図を表示して

現地の綺麗な女性に、ここに行くにはどうしたら行けますか?

という質問を投げかけてみた。

結局これも大分適当だったことが後々に判明するのだが、自分は間違った方向へ

歩き出すことになる。

まっすぐ行けばよかったのに、外灯の少ない裏通りを歩く右の方へ右の方へと歩いて

しまったのだ。

そして、その暗がりには、マッサージ屋 お茶屋 飲み屋の呼び込みが

無法地帯のごとく バックパックを背負っている自分に集まってくる。

僕は、宿へ荷物を置いたらまたくるからと言って断っていたが、

それでもしばらく、ついて回る。

10名くらい入れ替わり立ち代わり呼び込みがきただろうか。

あともうちょっとのところで、女性二人の呼び込みの人に両腕をつかまれて

泣き落としが始まった。

「私たちは仕事がほしい とても困っている。どうか助けてほしい。

一杯飲んでくれるだけでいいから お店にきてくれ、」

半泣きの二人を放っておけず 一杯だけなら良いよっていうことで、二人に手を引かれてお店まで行ってしまった。

僕も上海に来たことがはじめただったので、みんなニコニコしているし、大丈夫だろうとタカをくくってしまっていた。

完全に「油断をしていたのだ」

この中国人達の笑みは、「不敵な笑み」だったのだ。

鴨ねぎ状態である。

僕は、言われるがままに、部屋に通されて 女の子とお酒を交わすようにすすめられる

3000円ぽっきりで飲み放題だと。女の子に囲まれてお酒を飲む。

ほどなくして、「もう俺は飲んだから、お会計をしてくれ」

中国女「おまちください」そう言うと席を立ち裏手に行ってしまう。

僕は、伝票でももってくるのかな?なんて素直に待ってしまった。

今思うと、席を立って出口に向かうべきだった。

しばらくすると男たちが数名 僕の周りを囲みだした。

ニコニコした店主らしき男が僕の横に座り。

「お兄さんココはどんな所かわかっているかい?うちは安いお酒を出していないんだよ」

俺「!!?何を言ってるのか意味がわからない」

中国人「泊まっているホテルはどこだ?」(ここで、客の財布をさぐるわけである)

俺(なんかヤバい空気になってきたぞ、店主以外笑っていない)

(中国女達が、気まずそうにしている、あー やばい嵌められた)

 

続く

ノートPCをゲット レッツノート

友人から状態の良いノートPCを譲りうけました。

最初は、掴まされたか?と思ったけど、ほぼ新品の状態な事が分かってきた。

レッツノート初心者には、ちょうど良かったかな!?

これで旅先でも、少し変化が出るかなって感じします。

使えば使うほど、なかなか良い感じに慣れてきています。

2015年モデル そんな昔のモデルでもないし、ありがたく使いきろう。

たしかにこのPCのおかげで、カフェでパソコンを使えるようになりました。

さっそく明日は、本屋とカフェが併設している所で、ブログを書いてみようかな。

そういえば、これなら寝ながらも書けるようになりますね。

それは、そうと投資もやっているので、ご紹介します。

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奇跡の街 清水

静岡県清水区に寄り道した話
大阪-埼玉を走行中 たまたま静岡の清水駅と国道の交差店の先で、事故大渋滞でまったく動かず迂回しようと曲がったら「清水駅」の看板 

あーこれは寄ってけって事だな。ということで、神様の言う通りに清水駅を皮切りに、「サッカーの聖地」でもある
清水を散策する事に決めた。
清水ってサッカーの歴史をはじめ、「ちびまる子ちゃん」の作者の生誕の地でもあり、モデルになった地域
あとは、広瀬アリスすず姉妹の生誕の地でもある。
タレント豊富過ぎだろっていうことで軽めに観てきました。

言われてみれば観たいところいっぱいありすぎて、今度時間ある時に、ゆっくり観光したいと思いました。

一番初めに寄ったのは、清水駅 まず人が集まる基本的で象徴的な所。
1時間くらいウロウロしてみた。
ちびまる子ちゃんらしく緩めの空気も流れつつ 個性的な感じの人がたくさんいました。
良い感じに清水港や海 川 山のロケーションもバランスも良くて、伸びやかな印象でした。
海から良い風が吹いてくる。
橋が多いので、少し道は入り組んでいるけど。

サッカーでいうとキリがないけど 清水商業 清水東 東海第一 静岡学園ね。
離れると藤枝東とか 
この強さの源って、なんだろう?なんて思いながら散策してきました。

まず、清水エリアはスポーツが盛んであること。
当たり前にスポーツを盛り上げようっていう雰囲気があるし
「芸達者」な人が多く集う 不思議な街でした。
もう少し静岡清水の歴史を知る必要があるな なんて思いました。興味深いエリアですね。
「芸能」の個性を育む雰囲気がありました。
推察するに、港町から交易が盛んでそこから発展したような。
清水の情報がたくさん ありすぎて渋滞を起こすほど笑
清水で論文 余裕で書けるレベルでした(笑)
 ●写真のラインナップ
清水東高校
●清水商業高校(桜ヶ丘)
さくらももこ生誕の地さくらももこは三浦八百屋さんだった。今は閉店中
さくらももこのモデルになった学校周辺を巡った。
●その学校の近くの同業だった八百屋のおじいさんも才能豊かでした。
さくらももこの実家は、清水商業高校から1km
広瀬アリスすず実家も割と近かった(笑)3km

 

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